啄木新婚の家タクボクシンコンノイエ
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明治38年、新婚の石川啄木・節子夫婦と啄木の父母が3週間ほど暮らした家。随筆「我が四畳半」にこの頃のことが書かれている。新婚の家は現在の中央通3丁目。
| 連絡先名 | 啄木新婚の家 |
|---|---|
| 所在地 | 〒020-0021 岩手県盛岡市中央通三丁目17-18 |
| 利用時間 | 8:30~18:00 9:00~16:00(冬期間) 休館/火曜日(12~3月のみ) |
| 入場料金 | 無料 |
| 電話番号 | 019-624-2193 |
| ホームページ | あり(ホームページを見る) |
関連カテゴリ:
ルート1: 盛岡駅 → 【バス5分】 啄木新婚の家前バス停 → 【徒歩2分】 啄木新婚の家
ルート2: 盛岡IC → 【車25分】 啄木新婚の家
近隣交通情報 閉じる
| 駅/インター | 距離 | 方法 | 所要時間 |
|---|---|---|---|
| 盛岡駅 (周辺へ地図移動) | 0.7km | 車・タクシー | 1分 |
| 自転車 | 3分 | ||
| 徒歩 | 13分 | ||
| 上盛岡駅 (周辺へ地図移動) | 0.8km | 車・タクシー | 1分 |
| 自転車 | 3分 | ||
| 徒歩 | 16分 | ||
| 仙北町駅 (周辺へ地図移動) | 2.2km | 車・タクシー | 3分 |
| 自転車 | 9分 | ||
| 徒歩 | 43分 | ||
| 青山駅 (周辺へ地図移動) | 2.9km | 車・タクシー | 4分 |
| 自転車 | 13分 | ||
| 徒歩 | 57分 | ||
| 山岸駅 (周辺へ地図移動) | 2.8km | 車・タクシー | 4分 |
| 自転車 | 12分 | ||
| 徒歩 | 55分 |
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| 観光地 | 距離 | 方法 | 所要時間 |
|---|---|---|---|
| 福田パン (地図移動) | 0.2km | 車・タクシー | 0分 |
| 自転車 | 0分 | ||
| 徒歩 | 4分 | ||
| いーはとーぶアベニュー (地図移動) | 0.3km | 車・タクシー | 0分 |
| 自転車 | 1分 | ||
| 徒歩 | 5分 | ||
| (有)山善菓子舗 (地図移動) | 0.3km | 車・タクシー | 0分 |
| 自転車 | 1分 | ||
| 徒歩 | 5分 | ||
| 光原社 (地図移動) | 0.3km | 車・タクシー | 0分 |
| 自転車 | 1分 | ||
| 徒歩 | 6分 | ||
| 宮沢賢治石碑(光原社) (地図移動) | 0.3km | 車・タクシー | 0分 |
| 自転車 | 1分 | ||
| 徒歩 | 6分 |
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| 名称 | 距離 | 番号 |
|---|---|---|
| 岩手中央タクシー株式会社 配車センター (地図移動) | 0.5km |
フリー:0120-05-8686 |
| 株式会社平和タクシー (地図移動) | 0.6km |
フリー:0120-11-8180 |
| 株式会社平和タクシー 本社 (代) (地図移動) | 0.6km |
電話:019-624-5151 |
| ヒノヤタクシー (地図移動) | 0.6km |
電話:019-653-1551 |
| 盛岡タクシー株式会社 配車センター (代) (地図移動) | 0.9km |
電話:019-622-9121 |
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| 名称 | 距離 | 番号 |
|---|---|---|
| 有限会社フヂクラドライブクラブ (地図移動) | 0.0km |
電話:019-653-1311 |
| マツダレンタカー岩手盛岡駅前店 (地図移動) | 0.4km |
電話:019-625-0666 FAX:019-625-0667 |
| オリックスレンタカー盛岡駅前店 (地図移動) | 0.6km |
電話:019-623-0543 FAX:019-623-0510 |
| レンタカージャパレン盛岡駅前営業所 (代) (地図移動) | 0.6km |
電話:019-653-3900 |
| ニッポンレンタカー東北株式会社 岩手県予約専用ダイヤル (地図移動) | 0.6km |
フリー:0120-91-5732 |
石川啄木
盛岡市出身の詩人。盛岡尋常中学校(後の盛岡中学校)金田一京助や後の妻である堀合節子らと出会う。『明星』に傾倒し、上級生である野村胡堂・及川古志郎らの影響を受けて文学に目覚め、明治35年中学校を自主退学・上京する。与謝野鉄幹夫妻を訪ねて指導を受け、明治38年『啄木』の名で詩集『あこがれ』を刊行。同年に文芸誌『小天地』を創刊するが、経済的に行き詰まり1号で終刊となる。明治39年渋民村に戻り、母校の渋民尋常小学校の代用教員となるが、翌年北海道行きを決意。辞職を申し出て引き止められるものの、ストライキ騒ぎを指導し免職。ここから函館、札幌、小樽、釧路と漂泊の生活を送る。明治41年に再び上京し『東京毎日新聞』に小説『鳥影』を連載。明治43年には処女歌集『一握の砂』を刊行。生活派歌人として評価されるが、貧困と病のため明治45年、故郷へ戻ることなく永眠した。
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