石川啄木歌碑(下橋中学校校庭)イシカワタクボクカヒ
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啄木の母校盛岡高等小学校(現:下橋中学校)校庭にある啄木の歌碑。啄木の2年上級で少年時代より晩年まで親交が厚く、堅い友情で結ばれていた金田一京助が啄木の歌を後年書いたもので、昭和52年秋、旧職員有志により建立された。「その昔 小学校の柾屋根に我が投げし鞠 いかになりけむ」
| 連絡先名 | (財)盛岡観光コンベンション協会 |
|---|---|
| 所在地 | 〒020-0000 盛岡市馬場町1-1(下橋中学校校庭) |
| 電話番号 | 019-604-3305 |
| FAX番号 | 019-653-4417 |
| ホームページ | あり(ホームページを見る) |
| メールアドレス | kankoug@odette.or.jp |
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ルート1: 盛岡駅 → 【バス20分】 下ノ橋町バス停 → 【徒歩5分】 石川啄木歌碑(下橋中学校校庭)
ルート2: 盛岡IC → 【車20分】 石川啄木歌碑(下橋中学校校庭)
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| 駅/インター | 距離 | 方法 | 所要時間 |
|---|---|---|---|
| 仙北町駅 (周辺へ地図移動) | 1.1km | 車・タクシー | 1分 |
| 自転車 | 5分 | ||
| 徒歩 | 22分 | ||
| 盛岡駅 (周辺へ地図移動) | 0.9km | 車・タクシー | 1分 |
| 自転車 | 4分 | ||
| 徒歩 | 18分 | ||
| 上盛岡駅 (周辺へ地図移動) | 1.6km | 車・タクシー | 2分 |
| 自転車 | 7分 | ||
| 徒歩 | 31分 | ||
| 山岸駅 (周辺へ地図移動) | 3.0km | 車・タクシー | 4分 |
| 自転車 | 13分 | ||
| 徒歩 | 59分 | ||
| 青山駅 (周辺へ地図移動) | 3.9km | 車・タクシー | 5分 |
| 自転車 | 17分 |
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| 観光地 | 距離 | 方法 | 所要時間 |
|---|---|---|---|
| 石川啄木・若山牧水 友情の歌碑 (地図移動) | 0.1km | 車・タクシー | 0分 |
| 自転車 | 0分 | ||
| 徒歩 | 2分 | ||
| 啄木・父子の歌碑 (地図移動) | 0.2km | 車・タクシー | 0分 |
| 自転車 | 0分 | ||
| 徒歩 | 3分 | ||
| 宮沢賢治歌碑(下の橋際) (地図移動) | 0.2km | 車・タクシー | 0分 |
| 自転車 | 0分 | ||
| 徒歩 | 4分 | ||
| 賢治清水 (地図移動) | 0.2km | 車・タクシー | 0分 |
| 自転車 | 1分 | ||
| 徒歩 | 4分 | ||
| 旧宣教師館 (地図移動) | 0.3km | 車・タクシー | 0分 |
| 自転車 | 1分 | ||
| 徒歩 | 5分 |
石川啄木
盛岡市出身の詩人。盛岡尋常中学校(後の盛岡中学校)金田一京助や後の妻である堀合節子らと出会う。『明星』に傾倒し、上級生である野村胡堂・及川古志郎らの影響を受けて文学に目覚め、明治35年中学校を自主退学・上京する。与謝野鉄幹夫妻を訪ねて指導を受け、明治38年『啄木』の名で詩集『あこがれ』を刊行。同年に文芸誌『小天地』を創刊するが、経済的に行き詰まり1号で終刊となる。明治39年渋民村に戻り、母校の渋民尋常小学校の代用教員となるが、翌年北海道行きを決意。辞職を申し出て引き止められるものの、ストライキ騒ぎを指導し免職。ここから函館、札幌、小樽、釧路と漂泊の生活を送る。明治41年に再び上京し『東京毎日新聞』に小説『鳥影』を連載。明治43年には処女歌集『一握の砂』を刊行。生活派歌人として評価されるが、貧困と病のため明治45年、故郷へ戻ることなく永眠した。
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