石川啄木歌碑(盛岡城跡公園(岩手公園))イシカワタクボクカヒ
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盛岡城跡公園(もりおかじょうあとこうえん)には、有名な「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心」の歌碑が立っている。少年時代の啄木が学校の窓から逃げ出してきて、文学書、哲学書を読み、白日の夢を結んだのが盛岡城二の丸。歌碑の文字は金田一京助の書。
| 連絡先名 | (財)盛岡観光コンベンション協会 |
|---|---|
| 所在地 | 〒020-0023 盛岡市内丸(盛岡城跡公園(岩手公園)) |
| 電話番号 | 019-604-3305 |
| FAX番号 | 019-653-4417 |
| ホームページ | あり(ホームページを見る) |
| メールアドレス | kankoug@odette.or.jp |
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ルート1: 盛岡駅 → 【バス10分】 中央通り1丁目バス停 → 【徒歩5分】 石川啄木歌碑(盛岡城跡公園(岩手公園))
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| 駅/インター | 距離 | 方法 | 所要時間 |
|---|---|---|---|
| 上盛岡駅 (周辺へ地図移動) | 1.3km | 車・タクシー | 1分 |
| 自転車 | 5分 | ||
| 徒歩 | 25分 | ||
| 仙北町駅 (周辺へ地図移動) | 1.4km | 車・タクシー | 2分 |
| 自転車 | 6分 | ||
| 徒歩 | 27分 | ||
| 盛岡駅 (周辺へ地図移動) | 1.2km | 車・タクシー | 1分 |
| 自転車 | 5分 | ||
| 徒歩 | 23分 | ||
| 山岸駅 (周辺へ地図移動) | 2.6km | 車・タクシー | 3分 |
| 自転車 | 11分 | ||
| 徒歩 | 51分 | ||
| 青山駅 (周辺へ地図移動) | 3.9km | 車・タクシー | 5分 |
| 自転車 | 17分 |
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| 観光地 | 距離 | 方法 | 所要時間 |
|---|---|---|---|
| 盛岡城跡公園(岩手公園) (地図移動) | 0.1km | 車・タクシー | 0分 |
| 自転車 | 0分 | ||
| 徒歩 | 2分 | ||
| 新渡戸稲造碑 (地図移動) | 0.1km | 車・タクシー | 0分 |
| 自転車 | 0分 | ||
| 徒歩 | 2分 | ||
| らら・いわて (地図移動) | 0.2km | 車・タクシー | 0分 |
| 自転車 | 0分 | ||
| 徒歩 | 3分 | ||
| 銀河離宮 (地図移動) | 0.2km | 車・タクシー | 0分 |
| 自転車 | 0分 | ||
| 徒歩 | 3分 | ||
| 下の橋 (地図移動) | 0.2km | 車・タクシー | 0分 |
| 自転車 | 0分 | ||
| 徒歩 | 4分 |
石川啄木
盛岡市出身の詩人。盛岡尋常中学校(後の盛岡中学校)金田一京助や後の妻である堀合節子らと出会う。『明星』に傾倒し、上級生である野村胡堂・及川古志郎らの影響を受けて文学に目覚め、明治35年中学校を自主退学・上京する。与謝野鉄幹夫妻を訪ねて指導を受け、明治38年『啄木』の名で詩集『あこがれ』を刊行。同年に文芸誌『小天地』を創刊するが、経済的に行き詰まり1号で終刊となる。明治39年渋民村に戻り、母校の渋民尋常小学校の代用教員となるが、翌年北海道行きを決意。辞職を申し出て引き止められるものの、ストライキ騒ぎを指導し免職。ここから函館、札幌、小樽、釧路と漂泊の生活を送る。明治41年に再び上京し『東京毎日新聞』に小説『鳥影』を連載。明治43年には処女歌集『一握の砂』を刊行。生活派歌人として評価されるが、貧困と病のため明治45年、故郷へ戻ることなく永眠した。
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