観光スポット

石川啄木歌碑(盛岡城跡公園(岩手公園))イシカワタクボクカヒ

マイページ会員に新規会員登録するとスポットをお気に入りに追加できます。マイページ詳細はこちら

 盛岡城跡公園(もりおかじょうあとこうえん)には、有名な「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心」の歌碑が立っている。少年時代の啄木が学校の窓から逃げ出してきて、文学書、哲学書を読み、白日の夢を結んだのが盛岡城二の丸。歌碑の文字は金田一京助の書。

基本情報

連絡先名 (財)盛岡観光コンベンション協会
所在地 〒020-0023 盛岡市内丸(盛岡城跡公園(岩手公園))
電話番号 019-604-3305
FAX番号 019-653-4417
ホームページ あり(ホームページを見る
メールアドレス kankoug@odette.or.jp

関連カテゴリ: 人 観光施設 歴史文化

  • 石川啄木歌碑(盛岡城跡公園(岩手公園))

アクセス&マップ

ルート1: 盛岡駅 → 【バス10分】 中央通り1丁目バス停 → 【徒歩5分】 石川啄木歌碑(盛岡城跡公園(岩手公園))

ルート2: 盛岡IC → 【車20分】 石川啄木歌碑(盛岡城跡公園(岩手公園))

QRコード対応の携帯電話で読み取ると、このページをモバイルで表示できます。

A4用紙1枚に印刷

このスポットの情報を持ち歩きに便利なA4用紙1枚に集約して印刷できます。

ゆかりの人


石川啄木

石川啄木

盛岡市出身の詩人。盛岡尋常中学校(後の盛岡中学校)金田一京助や後の妻である堀合節子らと出会う。『明星』に傾倒し、上級生である野村胡堂・及川古志郎らの影響を受けて文学に目覚め、明治35年中学校を自主退学・上京する。与謝野鉄幹夫妻を訪ねて指導を受け、明治38年『啄木』の名で詩集『あこがれ』を刊行。同年に文芸誌『小天地』を創刊するが、経済的に行き詰まり1号で終刊となる。明治39年渋民村に戻り、母校の渋民尋常小学校の代用教員となるが、翌年北海道行きを決意。辞職を申し出て引き止められるものの、ストライキ騒ぎを指導し免職。ここから函館、札幌、小樽、釧路と漂泊の生活を送る。明治41年に再び上京し『東京毎日新聞』に小説『鳥影』を連載。明治43年には処女歌集『一握の砂』を刊行。生活派歌人として評価されるが、貧困と病のため明治45年、故郷へ戻ることなく永眠した。

ゆかりの地・関連スポット

みんなのクチコミ★マイページ会員に新規会員登録するとスポットにクチコミを投稿することができます。マイページ新規会員登録はこちら


観光情報をさがす

カテゴリでさがす

エリアでさがす

キーワードでさがす


barrierfreebtn